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大阪高等裁判所 昭和48年(く)72号 決定 1973年11月16日

本人 I・H(昭二八・一・二七生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の理由は、申立人両名連名作成の「即時抗告」と題する書面(添付の訴追状写を含む。)記載のとおりであるが、その要旨は、

原裁判所は、河内少年院長の申請に基づき、昭和四八年九月一三日申立人I・Hを同年同月二六日から六ヶ月間河内少年院に収容継続する旨の決定をした。ところで、(一)河内少年院長作成の収容継続申請書添付の報告書(奈良少年院長作成の移送認可申請書写を指称するものと思われる。)には、申立人I・Hは、河内少年院に移送される前に在院していた奈良少年院において、昭和四八年四月一八日頃から集団逃走を企てたほか、二度に亘つて教官襲撃を計画し、遂には、同年同月三〇日集団逃走計画を実行に移して未遂に終つたことがあり、同申立人はその事件の主犯である旨記載されているが、同申立人は、右事件のため少年院法八条によつて許される謹慎最長日数二〇日をはるかに超える五二日間に亘つて単独室で謹慎させられ、その間一〇日間に亘つて取調べを受けて自白を強要され、その結果前記逃走計画等の事件の主犯ではないのに主犯とされて同年六月二〇日河内少年院に移送されたのであつて、申立人I・Rは、原裁判所の審判の際、右事情を申し述べたにも拘らず、原裁判所は、この点につき審理を尽くさず、右報告書の記載を鵜呑みにして真実に目を覆い、前記収容継続決定をしたものであつて、これは、憲法三一条、三四条、三六条、三八条等に違反するものといわざるを得ず、又、(二)原裁判所は、本件の審判の際、申立人I・Hが前記逃走計画等の事件について陳述しようとしても誘導尋問によりその口を封じ、申立人I・Rが申立人I・Hの心情について説明しようとしてもその発言を封じ、審理を十分尽くさなかつたものであり、さらに、(三)申立人I・Hは前記逃走計画等の事件につき主犯ではないことのほか、前記逃走計画事件については、同申立人には真剣に逃走する意思はなく、給食状態が悪いこと等から一寸外の空気を吸いたいという程度の気持があつたに過ぎず、逃走も未遂に終つている点、前記教官襲撃計画を実行に移す際にも教官が寝ている間に鍵を持ち出したので教官襲撃の実行には至つていない点、奈良少年院において、職員が二階の戸の施錠や見廻りを怠つたり、教官が鍵を放置して寝たりしていることが同申立人らの逃走を誘う結果となつた点、前記謹慎日数中二〇日を超える三二日間は矯正教育の空白を来たしている点および同申立人は既に二〇歳を超えている点等に照らすと、原裁判所の前記処分は著しく不当であり、これらの理由により原決定には不服である、というのである。

そこで、先ず、右(一)の論旨について検討するのに、原裁判所の審判調書によれば、申立人I・Hは、原裁判所の審判に際し、前記逃走計画等の事件につき、昭和四八年四月中頃電気工事のため少年院の外に出た際、冗談に「外は良いなあ、外に出たいなあ」といつたところ、それが拡大して本格的になつたもので、自己が右事件の主謀者になつているのは、皆が相談して来るので「うん、うん」と返事をしていたのでそのようになつたものと思う旨供述しており、又、原裁判所の調査官作成の意見書によれば、同申立人は、同調査官に対し、「逃げたいと話し合ううちにあんなとこまで……成行きにまかせて自分をおさえ切れずにいつの間にか中心みたいにされて……自分が情ない。」と述べており、右各供述を綜合すると、同申立人は、年長者でもあるため、他の者から主謀者的立場に祭り上げられ、自らもこれを拒否しないまま主謀者的立場に立つていたことを暗に認めているものと解されるから、奈良少年院長作成の前記移送認可申請書写に同申立人が前記事件の主謀者であつた旨記載されているのは必ずしも虚偽の記載とはいえず、同申立人が前記事件のため謹慎させられた日数についても、河内少年院長作成の収容継続申請書添付の処遇記録票写および移送認可申請書写によれば、二〇日であつたことが明らかであり、又、同申立人が原裁判所の審判の際および調査官の調査に際し、自己が主謀者となつている点につき前記のような供述をし、奈良少年院において自白を強要されたことにつき何ら訴えていない点に徴すると、奈良少年院において同申立人が一〇日間も取り調べられた挙句自白を強要されて始めて主謀者であることを自白したとは到底認め難いから、原決定に所論のような違法の存しないことはさらに審理を尽くすまでもなく明らかである。従つて、右(一)の論旨は理由がない。次に、右(二)の論旨につき検討するのに、原裁判所の審判調書および調査官作成の意見書によれば、前記逃走計画等の事件の事実関係についても、申立人I・Hの心情についても同申立人は詳細な供述をしており、これらの点につきさらに審理を尽くさねばならないほどの必要性は認められないから、原裁判所がこれらの点につき審理を尽くさなかつたとの右(二)の論旨も理由がない。次に、右(三)の論旨につき検討を進めるのに、申立人I・Hが前記逃走計画等の事件につき主犯的立場にあつたことは前記のとおりであり、又、同申立人が逃走を企てるに至つた動機については、原裁判所の審判調書によれば、同申立人は、原裁判所の審判に際し、奈良少年院に送致された当初部屋の古参者にいじめられたのと少年院生活も半年を経て嫌気がさしたので外に出たい気になつた旨供述しており、調査官作成の意見書によれば、同申立人は、同調査官に対し、奈良少年院では院生も教官も人の気持に踏み込んで来るので辛抱し切れなくなつたため逃げたくなつた旨供述しているのであつて、所論のような給食状態が悪いこと等に堪えられなくなつて逃走を企てるに至つたとは認め難いうえに、逃走の意思も三回にも亘つて逃走しようとしている事跡に徴すると所論のような単純なものであつたとは認め難いのみならず、前掲移送認可申請書写によれば、同申立人は昭和四八年四月一日一級下に進級以後処遇がかなり開放的になつたのを奇貨として同年同月一八日頃から逃走を企てるに至つたものと認められ、所論指摘の奈良少年院における戸締りや見廻りの怠慢および教官の軽卒さが誘引となつて前記逃走計画が立てられたものとは認め難く、さらに、同申立人に対する謹慎日数が二〇日を超えていないことは前記のとおりであり、これらの諸事情のほか、原決定中の認定事実および処遇理由に徴すると、同申立人に有利な所論指摘の事情を考慮に入れても、原裁判所の処分が著しく重過ぎるとは考えられない。従つて、右(三)の論旨も理由がなく、その他、所論にかんがみ記録を調査しても原決定には何ら法令違反、事実誤認又は処分の不当等の点は見出せない。

よつて、本件抗告は理由がないから、少年法三三条一項、少年審判規則五〇条に則り主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 原田修 裁判官 高橋太郎 角敬)

参考 原審決定(神戸家裁尼崎支部 昭四八(少ハ)一号 昭四八・九・一三決定)

主文

本院生を昭和四八年九月二六日から六ヵ月(昭和四九年三月二五日まで)河内少年院に収容継続する。

理由

第一本件申請の要旨

本院生は、当裁判所において昭和四七年九月二六日中等少年院に送致する旨の決定を受け、同月二八日奈良少年院(中等少年院)に入院したが、昭和四八年四月ごろから次第に生活が乱れ始め、同月一八日ごろから集団逃走計画に参加し、教官襲撃を二度に亘つて計画したが失敗し、更に同月三〇日仮眠中の職員の上衣から通行錠を奪つて逃走しようとしたが発見され、そのため同院での教育は限界に達したとして、同年六月二〇日河内少年院(特別少年院)に移送されたものであるが、現在の処遇段階が二級下であり、本院生の犯罪的傾向も矯正されていない状態にあるから、本院生を昭和四八年九月二六日より六ヵ月間(昭和四九年三月二五日まで)、同学院に収容継続を求める。

第二当裁判所の判断

一件記録および当裁判所の調査結果によれば、

本院生は、昭和四六年五月ごろより同年八月ごろまで多数回恐喝、窃盗等をなして、同年九月二八日当裁判所において試験観察決定を受け、尼崎市所在の○○会に補導委託されたが、昭和四七年四月委託先を逃走して後、窃盗、恐喝等を犯したため、同年九月二六日当裁判所において、中等少年院送致の決定を受け、同月二八日奈良少年院(中等少年院)に収容執行中、昭和四八年一月一〇日少年院法一一条一項但書に基づき同年九月二五日まで収容継続の決定を受けたこと、本院生は上記収容継続決定に基づき成年に達してからも引続き同学院で矯正教育を受けていたが、同年四月一日一級下に進級したころより次第に生活態度が乱れ始め、同月一八日ごろには他の院生と逃走計画をたて、その計画も合鍵を造つたり、教官の襲撃を企てるなど次第に大胆、綿密になり、二回に亘つて失敗したのに拘らず、同月三〇日仮眠中の職員の衣服中から鍵を盗んで逃走を敢行しようとしたが発見され未遂に終つたこと、右事故により本院生は同年五月九日三級に降級され、同院での処遇は限界に達したとして、同年六月二〇日河内少年院(特別少年院)に移送されたこと、同院において、本院生は同日二級下に復級し同年九月一日には二級上に進級して矯正教育を受けていること、

以上の事実が認められる。

右認定の事実よりすれば、本院生は中等少年院入院後半年にして、持前の自己本位性、責任転嫁の傾向が顕著になり、これまでの非行への関与の仕方と同じ経緯、方法で前記逃走、教官襲撃計画へ参加したものであつて、現在の河内少年院での処遇段階が二級上であることを考えあわせると、本院生の犯罪的傾向は未だ矯正されておらず、現時点での退院措置は不適当であつて、更に引続き収容のうえ矯正教育を施す必要があると認められる。

そして、その期間は、河内少年院の本院生矯正教育のプログラム、同じ逃走、教官襲撃計画に参加した他少年との処遇の均衡、本院生の性格、その他諸般の事情を総合して考えると更に六ヵ月を要し、昭和四九年三月二五日まで本院生を河内少年院に収容するのが相当である。

よつて、主文のとおり決定する。

裁判官 将積良子

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